創価なう

仏教オタクが仏教を語ります

立正安国論に見る言葉のすごさって?

感じた事は本人にしか分かりません。 ただ、言葉によって体験を抽象化して人に伝えられます。

例えば、大野がムカついたとします。 ムカついたことは厳密には私にしか分かりません。

ただ、どのようにムカついたのか なぜムカついたのか 誰にムカついたのか 言語化することによって少なからず体験を伝えられます。

立正安国論においても、主人と客が言葉を交わしながら、意見を述べ合っています。 立正安国論で、主人と客はお互いに宗教に関して異なる価値観を持っています。

主人は一切衆生を救う道は正法に帰依する事だと確信している一方、客はそれを疑ってかかっています。 話が進むにつれて、客は主人の主張を少し受け入れ始めます。

そして、客と主人は、国家の第一の優先事項として、国家の安泰という点において合致をみます。 最後には客は主人を師とし、正法に帰依し、謗法を責めることを決意します。

客と主人はそれぞれの価値観を語り、お互いの主張を聞きながら、2人の納得する妥協点を得られました。 言葉の力は偉大です。

自身の体験、信条を語りあうことで人は必ずわかりあえます。 対話の力はすごいです。