「地球市民にとって創造的人間とは何か。」
- Abstract
- 地球市民とは
- 人間主義、既存の枠に捉われぬ。人類益。
- 慈悲
- 祈り
- 民衆への尊厳、不軽菩薩
- 超国家
- 身近に限らず、遠いところで苦しんでいる人々にも同苦し、連帯しゆく「慈悲の人」
- 生命の相関性、人間の可能性→仏法的思想
- 尊重
- 生命の相関性を深く認識しゆく「智慧の人」
- 勇気
- 受容→国際的コミュニケーションの気運の高まる中、非常に重要、文化
- 成長?
- 人種や民族や文化の差異を恐れたり、拒否したりするのではなく、尊重し、理解し、成長の糧としゆく「勇気の人」
- 引用まとめー地球規模で価値創造のできる人間(p226)
- 自他共に益する→菩薩(231)
- 地球市民とは(引用)
- 地球規模で価値創造のできる人間(p226)―端的に述べられているのは
- p 227―具体的に言うと
- 生命の相関性を深く認識しゆく「智慧の人」
- 人種や民族や文化の差異を恐れたり、拒否したりするのではなく、尊重し、理解し、成長の糧としゆく「勇気の人」
- 身近に限らず、遠いところで苦しんでいる人々にも同苦し、連帯しゆく「慈悲の人」
- 智慧→慈悲、慈悲→智慧
- 勇気即慈悲?挑戦
- 人間主義―というキーワードが浮かぶ。既存の枠に捉われぬ。人類益。
- 菩薩、地球市民のモデル
- 自他共に益する→菩薩(231)
- 創造的人間とは
- 民衆と共に
- 感謝
- 還元、社会、つまり民衆への=貢献
- 謙虚さ
- 人間の尊重、幸福の実現
- 価値創造- 社会に必要な価値を創造し、健全な価値を提供し、あるいは還元していくというのが、創価大学の本来めざすものでなければならない。(182)
- 前進
- 終わりなき、限界なき闘争
- 常に、甘え×
- 人間革命―この創造的生命の開花を、私はヒューマン・レボリューション、すなわち人間革命と呼びたい。これこそ諸君の今日の、そして生涯かけての課題なのであります。
- 安逸や停滞と決別し、強く善く生きようとする人間の能動的な意欲を鼓舞してやまない思想性
- 人間力の無限の行使の要請に応えんとするところ、そこに拓けるのは、無限の力、無限の希望、無限の勇気、無限の知恵等々、限りなき、洋々たる前途であり、どんなに紆余曲折、試行錯誤があろうと、前進また前進の勇者を待つのは、仏典に「歓喜の中の大歓喜」と記された創造的生命の凱歌であるというのが、仏法にもとずく人間主義の希望の哲学
- 行動の人
- 勇気、思っているだけではなく
- 先駆、一人立つ獅子
- 幅広い知識
- 学問的
- 基盤
- 考える際の論理性
- 人間につなげること
- それが自分に、すなわち人間にとってどういう関係にあるか―すべてをここに引きもどして知識、技術、芸術の再編成をするとともに、新たな人間の蘇生を、もたらしていただきたいのであります。
- 深い思索
- 先見
- 平和
- 人間主義
- 幸福の連帯
- 確信
- 創造的人間とは
- 価値創造- 社会に必要な価値を創造し、健全な価値を提供し、あるいは還元していくというのが、創価大学の本来めざすものでなければならない。(182)
- 幅広い学問的知識と深みのある思索の規模の上に、初めて実りのある創造の仕事ができるわけであります。(183)
- 地道な人間構築をふまえた学問の推進、真理探究の歩みが、大きくは社会変革の原動力になっていくことを確信していただきたいのであります。(185)
- 人間復興- それは、人間中心主義、人間万能主義のそれではなく、人間が他のあらゆる生物の仲間として、いかにすれば調和ある生を保つことができるかという意味での人間復興(189)
- 諸君の使命は、あらゆる力を人間の幸福と平和のために使いこなす知恵を身につけることにあると言いたいのであります。・・・それが自分に、すなわち人間にとってどういう関係にあるか―すべてをここに引きもどして知識、技術、芸術の再編成をするとともに、新たな人間の蘇生を、もたらしていただきたいのであります。(217)
- 愚痴やトウヒは惰弱な一年の反映であり、生命本然の創造の方向を腐食させてしまうだけであります。(219)
- この創造的生命の開花を、私はヒューマン・レボリューション、すなわち人間革命と呼びたい。これこそ諸君の今日の、そして生涯かけての課題なのであります。
- SGI提言- 安逸や停滞と決別し、強く善く生きようとする人間の能動的な意欲を鼓舞してやまない思想性
- 沈黙と言葉からなる真の対話においては、創造性のある驚きが自然に生まれます。
- 人間力の無限の行使の要請に応えんとするところ、そこに拓けるのは、無限の力、無限の希望、無限の勇気、無限の知恵等々、限りなき、洋々たる前途であり、どんなに紆余曲折、試行錯誤があろうと、前進また前進の勇者を待つのは、仏典に「歓喜の中の大歓喜」と記された創造的生命の凱歌であるというのが、仏法にもとずく人間主義の希望の哲学
- 「その創造とは自己による自己の創造であり、少しのものからたくさんのものを引き出し、無から何ものかを引きだして、世界のなかにある豊かさにたえず何ものかを付け加える努力によって、人格を成長させること」
武器を捨てよと死の話
感想を述べます。まず1つ目に批判的な思考は重要であると思いました。「武器を捨てよ」の舞台となる19世紀は戦争が多く行われた時代でした。当然、戦争反対論は強いものではありませんでした。そんな時代にマルタは戦争に疑問を抱きました。その理由としてやはり大切な人が死の恐怖にさらされたことがあると思います。戦争に駆り出される人を待つ人々の苦しみをマルタは知り、戦争が正しくないと考えたのだと思います。このように一般的に当たり前とされていることに疑いを向け、反論し正していくことは社会をよくするために必要だと思います。常識とされていることに反論することは大きな抵抗が生まれるかもしれません。しかし、自分の正しいと思うことを貫き通すことこそ新たな価値を生み出すことにつながると思います。
2つ目に、自分の主張に説得力を出すための方法として反証が有効であることを学びました。これは特に戦争正当化論を論破しようと試みたところで学びました。論というものは一般化されたものであり、広く適用されて初めて力を持ちます。だからこそ、論の通りにならなかった現実を示すことは説得力のある反論になるということです。例えば、戦争は個人にとって輝かしい栄光であるという人がいます。ではナポレオンはどうなるのでしょう。戦争で勝ちヨーロッパを封建制から解放しようとした彼ですが、最期は遠い島に流されてひっそりと息を引き取りました。必ずしも戦争が栄光であるとは言えないと思います。
3つ目に戦争正当化論の論破、また戦争反対論を考えたことにより、これから平和を語る際に更に深く語れるようになったと思います。戦争はだめだ、平和が大切だという考えは多くの創大生が思っていることだと感じます。戦争がどうしてダメなのかということを、戦争経験のない私たちなりによく考えていくことが必要だと思います。そもそも戦争正当化論は、その論自身で破たんしていることが多いように思います。結局は人々の利害があって、戦争を何とか行いたい、というのが本音だと思います。だからこそ不合理な戦争を許してはいけないと思います。
コモンセンスと死の話
- 当時の状況
コモンセンスが出版されたのは1776年であり、これはピューリタンが渡米してから約150年のことである。アメリカ国民であると同時にイギリス国民であるピューリタンには4つの国を統一する英国王への忠誠心が根強かった。1773年にボストン茶会事件がおこり、イギリスへの反発は明らかなものになり、1775年にアメリカ独立戦争は始まった。しかし、1776年になっても独立派が必ずしも優勢となれなかったのはこのイギリス国王への忠誠心が原因の1つである。対外的には、七年戦争が起こりフランスとイギリスの対立、イギリスの孤立があらわになった時代であった。
- 趣旨 主張
ペインの主張は、今(1776年当時)、アメリカが英国に対してなすべきことは独立宣言をおいてほかない、ということに尽きる。その論を支持する事実として、大きく3つある。1つは、独立しない限り、つまり英国の臣下である限り、他国に仲裁を頼むことができず永久に英国との争いが続きうること。2つ目に、英国に忠誠を誓いながら戦争を続けることは、国際社会で反逆者と言われかねないこと。3つ目に、英国から独立し、その上で諸外国と通商条約を結ぶことを宣言すれば、これまで以上の利益を得られることがある。本文全体の進め方としては、はじめに英国王政の批判がされる。憲法が、国王により独占されていること、上院の権力が下院にまでおよんでいること、世襲制の悪などについて述べられている。次に、アメリカの現状が述べられる。戦争の経験、人口の点から見てイギリスと戦うのは今であること、そもそもアメリカは豊富な資源と長い海岸線を持ち合わせた世界でまれな貿易大国たる条件を持つ国であることなどである。
- ペインから学んだこと
独立戦争への動きが強まる中で、なお独立反対派が3分の1を占めるという状況が起きたのは、やはり英国王への強い忠誠心が原因であると思う。それもまた反対していたのは上級階層である。現状を疑うこと、そしてそれを覆すための論理を組み立てること、反対する人々をも納得させる根拠と表現、なにより情熱を持ち合わせたこと、一種の革命を起こすにはこれらが必要だと感じた。大きく感じたのは、英国王という当時のアメリカ人にとっての絶対的な権威を否定したことが歴史的事実であり、この勇気を支えた陰には学問、思索を重ねた過去があるのだろう。
雇用、利子および貨幣の一般理論を読んで
ケインズという経済学者の名前は聞いたことがあった。しかし、彼の論じた経済学は知らなかったし、知ろうとも思ったことがなかった。そんな中で読んだ彼の著作「雇用、利子および貨幣の一般理論」は私にとって、難しく感じられた。特に私を苦しめたのは次々と出てくる数式である。経済学、特にマクロ経済学を学ぶ上でモデル化することは欠かせない。その意味で数学の必要性を感じた。このように苦労しながらこの著作を読んで感じたことを述べていく。
まず、ケインズが生きた時代の伝統的な理論を確認する。当時は失業者の多い時代であったが、その原因は賃金が需要と供給が等しくなるところまで下がらないことだと考えられた。賃金が低下しないのは、労働供給を独占する労働組合の力によるものだとされていた。よって、失業の解決策として賃下げが取り入れられたのである。
また、伝統的な理論では、完全雇用が前提とされていた。それは、非労働者は自発的失業もしくは一時的な摩擦的失業によって存在するというものである。これは、働きたくとも働けない人を考慮に入れられていない。この前提の過ちをケインズは指摘した。今となっては、受け入れられている非自発的失業、例えばハローワークに通う人なども、当時の経済理論では存在しないことになっていた。そのような通説に異論を唱えたのがケインズであり、彼はまず直感的に間違っていると考え、それを論理的に証明した。常識に挑む勇気が学問の進展をもたらすのだということを感じた。
彼の論じたことに関して要約しつつ感じたことを述べていきたいと思う。
まず、ケインズは、所得とは有効需要であり、有効需要とは消費需要と投資需要の合計であるとした。同時に所得は消費と貯蓄の合計に等しいから、投資と貯蓄は等しくなる、と考えた。こうして、投資需要が増えれば、所得が増える。所得が増加すれば、消費性向分だけ消費も増える。さらに消費需要が増えたことにより、また所得が増える。これはケインズの乗数理論と呼ばれるものである。
この乗数理論は、不況の時期において投資、特に政府の投資を促進した。投資は有効需要の増加に直結し、その結果、供給量、生産量は増え、雇用も増加するからである。また、この理論は社会的な不況時において貯蓄が美徳ではないことも示す。これは私にとっては驚きである。私はお金を将来に必要になる諸費用に使うため、進んで貯蓄をしたいと思っている。しかし、この行動は社会的には不況であれば悪なのである。乗数効果の分だけ社会全体の所得を減らしていることになる。これも考えてみればそうだとも思う。卑近な例でいえば、3.11の東日本大大震災がある。この甚大な被害により、消極的な経済活動が続けば、被災地を含め経済復興は思うように進まないだろう。心情としては被災者が地震に苦しむ中、自分たちがお金を浪費し、レジャーに出かけてよいのか、と考えてしまうかもしれないが、経済的に見てそれが被災地の復興にもつながるとも言えるのだ。少し、皮肉で、面白い例だと思った。
次にケインズは利子がなぜつくのかを考えた。伝統的な理論では、節欲に対する報酬と考えた。私自身も、漠然とではあるが同じように考えていた。今、使用しないと決めたお金を預け、欲を節し、銀行に資金として貸し付けることで、利子を得ていると考えていた。しかし、ケインズはタンスに現金をいれて、節欲をしても利子は得られないと主張した。そして利子は流動性に対する代価だと結論付けた。例えば、私は確定利子5パーセントの債権を買ったとする。仮に利子率が6パーセントに上昇した場合、私は5パーセントで買ったことを後悔するであろう。逆に4パーセントになった場合、私は喜ぶであろう。このように、債権を買うことによって、将来の投資・消費の機会を失うという意味で利子は流動性の代価であることを納得させられた。しかし、債権を買うという行為は実際、私にとって身近な事柄ではなく、また利子と関わりのあるところといえば、普通預金がすぐに思い浮かぶ私にとっては、想定外の理論であった。言われてみればタンスの例は節約が利子をもたらすことを否定できることは理解できる。漠然と考えていた利子の原因を論理的に言い当てれば流動性の代価と言えるのかなと思った。
また、利子率のとらえ方について、伝統的理論は将来の利子が予測できているという前提にたった。正確に言えば、予測できると思っていたわけではなく、仮定していたものが結果として完全に予測可能とする前提だったのであるが。一方、ケインズは将来の利子は正確に予測することは不可能であると考えた。そのうえで貨幣の役割は2つあると説いた。1つ目は交換の仲立ち。もう一つは富の貯蔵手段であり、これがケインズの新たな主張である。この理由は前段の、利子は流動性の代価であるという結論からである。蓄えられたものの価値が変化するとケインズは考えた。ケインズ的思考によると、一見増え続けているように見える定期預金の利子は、ともすれば別の投資を行った場合に得られる便益を下回っているかもしれないと考えるのである。ここでは投資家のことを考えると納得できた。彼らは手元にある自由に使える貨幣をどこに、そしていつ使うかに頭を使い、実際に投資をすることによって富を増やしている。投資先が決まっていれば、いつ投資してもよいということはない。それはある意味で将来、富を増やすための貯蔵でもあるともいえると思った。
また、ケインズの時代にはイギリスで失業者があふれていた。そのためにいかに雇用を増やすかは大きな問題であった。ケインズは雇用量を増やすための政策を主に3つを挙げている。1つ目は消費性向を高めること、つまり貯蓄意欲をそぐことである。このために租税政策を行う。具体的に言えば、豊かな人に対し、累進課税制度を用いて租税を重くし、貧しい人に対して社会保障その他で与える。このことにより、社会全体としての貯蓄性向は小さくなる。なぜならば、一般的に豊かな人の貯蓄傾向は大きく、貧しい人のそれは小さいので、この租税制度によってその差を埋めてやることができ全体として消費性向は高まる。
2つ目は利子率を下げて民間投資を増やすことである。ケインズは新しい投資について企業家が予想した利潤率、つまり資本の限界効率が利子率を上回れば投資をすると考えた。この観点から不況の際、政府のなすべきことは利子率の引き下げであるとした。このことにより投資の増加が起こり、生産量、ひいては雇用の増加が起こると考えた。ケインズはこれを最も重視した。なぜならば、これが不況時に悪となる貨幣愛を取り除く直接的手段であるからだ。
しかし、利子率を下げることにも限度がある。そこで考え出されたのが、3つ目、政府投資を増やすことである。有効需要を増やすには、民間投資だけでなく公的な投資も有効である、とした。これは1929年の世界恐慌時にイギリス政府がとった支出減少の政策と反対である。利子率を下げること、公共投資を増やすことは今もなお、不況脱出の手段として用いられているように思われる。この意味でケインズの経済学は今も通ずるところはあると思う。
また、ケインズは自身の戦争観についても述べている。戦争とは国家間で行われるものであり、国家間の経済活動といえば貿易である。この貿易の中で輸出をする国は、生産物あるいはサービスを他国から需要されており、有効需要は増加する。これによって生産量は増加し、所得も増加する。さらに乗数効果により、所得は増える。このように貿易黒字の国は富んでゆくことになる。だが、一方で1つの国が貿易黒字であれば貿易で赤字を生んでいる国もある。この場合、赤字の分だけ有効需要が減り、雇用量の減少、つまり失業は増加する。このように、貿易により富める国と貧しい国がうまれ、これが戦争の起こる一因ではないのかと彼は考えた。経済だけでなく、格差、というものが戦争をうんでいることは確かであると思う。私は富める国とそうでない国が戦争をしても勝敗はする前から明らかではないかとも思った。
戦争の原因を貿易に求めたケインズであったが、彼は平和主義者であったのだろうか。どうやらそうではなさそうというのが私の見解である。第一世界大戦時も財政的な面で政府を援助したようである。また、彼は実質賃金を下げるためには賃下げよりもインフレーションのほうが効果的であると主張した。これは、労働者は賃下げには敏感に抵抗を示す一方、物価上昇による実質賃金の低下にはそれほど強く反応しないからである。これは企業家的目線、利益を追求したものであり、民衆の利益ではない。
また、この本を読んで、なぜ今、経済復興のために自粛ムードを避けたほうがいいと言っているか論理的にわかってよかった。不況、今回の大震災のように経済的な打撃を受け、復興が求められている今、経済活動を活発化するには我々の消費もそうだが、政府も有効需要を効果的に増やす政府支出をつくるべきだと思った。それが何なのか、具体的に考え自分なりに創意することもニュースを見る中で考えていきたい。やはり生きた学問であるためには、常に現実に結び付ける必要があると思う。
冒頭に述べたように、このような経済学の専門書を読んだのは初めてのことであった。残念ではあるがおそらく今も、ケインズを理解できたとはとても言い難い。しかし、理解でき今までなかった考えを得られたときは快感を覚えた。しかし、そういった快感を覚えるために経済学を学んでいるとは思えない。経済学にはまれるほど私が学問していないせいもあるかもしれないが。
そこで思うのは、ケインズは何のために正確な経済理論の構築を試みたのか、ということだ。彼は政府の政策に介入し、自身の意見を国策に反映することに成功した。しかし、その結果は戦争から利益を得、戦争を助長したのではないだろうか。
何のために経済学を学んでいるのだろうか、という問いは私自身よく考えるものである。結局のところ、まずは学んでみるしかないだろうと思い、経済学の授業もとっているし、IPも続けている。民衆の幸福のため、大学に行けなかった人たちのため、学ぶ、というのは何度も聞いてきたし頭ではそうすべきだと思っている。本気で心の底からそう思えているかといわれると、なかなか難しい。ただ、自分の利益だけのために学び、それを使ったところに幸福はないと思う。また、実際、今、学んでいることがどのように私と人々を幸福にするのかははっきりしない。それでいても学ばないでいては何も変えることはできない。やはり学ぶことは必要なのだと思う。
創価大学とは
1.「新・人間革命」の「創価大学」の章をよく読み、草創期の創価大学を描写された事実の中で、重要だと思う事実を理由と共に5つあげて下さい。
p19.創価大学は、牧口常三郎の創価教育を根本にした大学であり、さらに、その根底には、仏法の人間主義の哲理がある
―創価大学でよく聞かれる、宗教と教育の関係を示したもの
p77. 「実生活は、何かと窮屈で、煩わしい面もあるかもしれない。しかし、やがて、その寮生活が、人生の貴重な財産になるよ。
―そう思う。
P112.我が創価大学の『創価』とは、価値創造ということであります。すなわち社会に必要な価値を創造し、健全な価値を提供し、あるいは還元していくというのが、創価大学の本来目指すものでなければならない。
―必要な価値、健全な価値とは何か?
P115. 勉強を続けてください
―勉強第一
P117.「七百人の来賓全員とお会いしよう」
2. 「創造的人間たれ」をよく読み大学の起源、創立者が創価大学に託したいと思われていることについて、まとめなさい
その際、「スコラ哲学と現代文明」と「創造的生命の開花を」を参照してください。また、現代の日本の大学界の状況も踏まえて下さい。
大学の起源・・
大学が発生したのは、十二世紀におけるルネサンスにおいて
大学とは人間的結びつきから発生したもの
P182.価値創造。つまり社会に必要な価値を創造し、健全な価値を提供 する人材の輩出
3. 「創価大学」と「創造的人間たれ」をよく読んだうえで、創造的人間に求められる実力と思うものを3つ
P182創造的な能力=社会になんらかの意味で、未来性豊かに貢献していく人
学問への意欲
先見性
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池田大作全集の内容・一覧とは?スピーチや御書講義○中古の値段は?
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池田大作先生の文章がまとめられたものです。
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具体的なすべての本の紹介は以下のブログがわかりやすいです。
非常に多岐にわたっていることがよくわかります。
ひとまず個人が書いたものとしてはかなり膨大な部類に入るのではないでしょうか?
著者の作業量の多さが伺えます。
特にオススメなのが
スピーチです。
スピーチは非常にわかりやすく書かれているからです。
話し言葉ですので、やはり噛み砕いてわかりやすく説かれています。
なので、万人向けです。
仏教のことだけでなく
歴史的な世界の事情を紹介しながら
生きるための大事なエッセンスを紹介してくれています。
1つ1つが短いのでとっかかりやすいです。
あまりにも長かったら読むのによいしょが入りますが
1つ20ページのものとかもあるので、なかなかやりやすいです。
また、五大部の御書講義もあり、これは少し難解ですが
やっぱり池田先生のものは安心感がありますので
御書を勉強される方は必読でしょう。
今はメルカリやジモティなどで
中古が販売されておりそちらはなかなかお安くなっているようです。
新品で買うと1冊3000円はしますからね。
唱題は白馬のリズムで。そして池田先生オススメの祈り方を紹介
唱題は白馬のリズムでいきます。
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