創価なう

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病気になったら負け?釈尊さんに学ぶ病気に対する捉え方

病気に対するイメージってどんなものですか?

「敗北」でしょうか?

そんなことありません。 病気になるのにも意味があります。 病気に限らず全てのことには意味があります。

意味というのは見出すものです。 捉えよう、発想の問題です。 「はい、意味ね〜」って思ってしまえばそれまでです。

「いや〜なんか意味ある、意味あるものに変えていこう」 前向きに捉えていくことで開けてきます。

病気になることで気づくことも多くあります。 簡単な例で言えば風邪ひいたら 「あ、普段健康に過ごせてることってありがたいんだな」 みたいな気付きがあります。

病気になるということは死に近づくことです。 心なり体なりなんらかを病んでるわけですから。 当然死というものを意識します。

ああ、自分って死ぬんだなということを 改めて気づけます。

死への意識って大事です。 死を意識すると自分の人生が限りあることに気付きます。 いつか、そして必ず終わりが来ると。

だからこそ今を大切に生きようと思えます。 一瞬一瞬を大事に。

死というものから目をそむけないことが大切です。 人間誰しも必ず死ぬのですから。

釈尊さんが良い例でしょう。 若かりし日、王族の釈尊さんは死にかけている人を見ました。 でも「うわ〜嫌だな」とは思いませんでした。

「自分も死ぬ、どうしよう」 と死にかけている人を見て自分の事として捉えたのです。

そしてどう生きよう、どう死を乗り越えようかと思索され修行されたわけです。 釈尊さんの話に関しては池田大作全集(12)【対談】私の釈尊観 : 私の仏教観 : 続 私の釈尊観 が分かり良いです。

病気になることで死を意識し で、死ぬってことはじゃあどう生きようかということを考えるわけです。

まさしく 病によりて道心はをこり候なり(妙心尼御前御返事1,480ページ)ですね。

以上、勝利の経典「御書」に学ぶ 6 法華証明抄 四条金吾殿御返事(世雄御書) 妙密上人御消息28ページを読んでの感想でした。