創価なう

仏教オタクが仏教を語ります

戦争万歳な時代に戦争反対を叫び抜く信念。言葉の凄さ。

第二次世界大戦中に 「戦争反対!」と叫び抜いたのは 誰か??

牧口常三郎先生と戸田城聖先生です!

この二人の 命をかけた叫びがあって 今の創価学会があります。

本当に感謝です。

当時の状態で 「戦争反対」と 叫ぶことが どれだけの勇気のいることか。

みんなが戦争だー! って言っている時です。

戦争反対なんて言ったら 非国民と罵られる時代です。

何という恐ろしい時代。 でもそういう時代が厳然とあったんです。 それも最近100年以内に。

歴史をしっかり学んでいかないとと思います。 そして、もう二度と戦争はしない。

しっかりと決意を固めていきたいと思います。

ででで 戸田先生と牧口先生の話に戻ります。

お二方の 「神札は断じて受けません。」 という言葉。

これが創価学会の運命を決します。 この行為によって お二方は逮捕されます。

逮捕されようが 自身の正義を主張し抜く。

命をかけた戦いです。 自身の生命をとしての戦い。

何と勇気のいることだろうと思います。

この言葉の重みを痛感します。

この行動が創価学会の誉れの歴史です。

その勇気に連なりたい。

第1巻は その戸田先生が ぐぐぐっと牢獄から 出られるところから始まります。

大悪起これば大善きたる。

戦争という大悪。 苦悩にあえぐ民衆。

断じて全民衆を幸せに。 その戸田先生の心意気。

獄中での悟達が 強く戸田先生を支えたんだと思います。

「仏とは生命である。」 これです。

仏法をぐぐぐっと 人間に取り戻した感じがします。

仏って何やねん って思います。

仏って あの奈良にいらっしゃる大仏かな? と思われる方もいるかもしれません。

そうではないんです。

我々、一人ひとりの生命なんです。 仏って。

何か、仏って言うと 自分以外の何か。 手を合わせている偉い人。 みたいなイメージがある人もいらっしゃるかと思います。 実際、私が対話をするときの切り口として 「仏って何やと思う?」 って聞いたりします笑

で、実はあなたのことなんだよっていうと 驚いたりされます。

でもそうなんです。

仏って私達一人ひとりのことなんです。

「仏とは生命なり」

法華経には32の否定が繰り返される箇所があります。 その否定は仏というものを表現するためのものだと考えられます。

で、32の否定を繰り返して 釈尊が伝えたかった仏とは何か。

なぜ、あえて生命という直接的な 言葉を使わなかったのか。 とか疑問に思ったりします。

恐らく内証の悟りを表現する 最も適切な言葉がその32の否定だったんだと思います。

悟りって主観的なものです。 自分がそう思う。ってことです。 実体験なんです。 自分が感じるしかないんです。

釈尊が感じたことは 釈尊にしかわからないんです。

でも、釈尊はそれを 何としても伝えたかった。 同じ悟りを皆に得させたいと思った。 皆を仏だと気付かせたかった。

そのためには言葉で表現する必要がある。 そして、伝える。 伝えて同じ体験をさせる。 そして幸せにする。

言葉ってすごいっすよね。 人間がここまで発展してきたのも 言葉抜きには語れないと思います。

釈尊の言葉を身で読み切られた戸田先生だからこそ 「仏とは生命なり」 というぐぐぐっと実態に迫る 私でも何となく分かった気になるような 簡単な表現で仏というものを表現出来たんだと思います。

本当にありがたい(何回言うねん)

法華経を身で読まれた 戸田先生だからこその悟達です。

本当にありがたいです。 感謝の思いでいっぱいです。(4回目)

大難を乗り越えたからこその 深い深い決意。 誓願。

自分がいざ 当時の状況で 牢獄に入れられたら と考えると・・・ 正直、逡巡してしまう自分がいます。

それでも正義を叫び抜けるか。

何はともあれ 広宣流布を深く決意された 戸田先生の出獄から この人間革命はスタートします。