創価なう

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人生で必ず起きることは何か?開目抄に見る「大聖人のやばさ」

人生で間違いなく起きるたった一つのこと。 何でしょう???

答えは 「死ぬこと」です。

これほど確かなことはありません。 人間誰しも死にます。

必ず死にます。 お金持ちだろうが 有名人だろうが 必ず死にます。

死というものをどう捉えるか。 これは人生の大問題です。

誰しも避けて通れない事。 それは死ぬこと。

死ぬとは一体どういうことなのか。 死んだら全てが終わるのか。

死にまつわる疑問というのは 考えても考えても答えが出るものではないと思います。

なぜなら、死んだ人は 喋ることが出来ないからです。

死んだ後の事なんて 誰もわからないのです。

大事なのは何のために死ぬか。 つまり、何のために生きるか、

教学3級試験の特集が載っている。

開目抄に感銘を受けた。 大聖人の誓願の深さが伝わってくる。

言ったら今世で三障四魔が競い起こる。 けど、言わんかったら来世は地獄に堕ちる。 ならば、言うべきである。

く〜 なんて強烈なんや・・・。 まさしく究極の選択やないかい。 決断やないかい。

けどけど〜 もう一回悩む。 実際、三障四魔起きて退転するんやったら 最初から思いとどまるべきだと。

深いな・・・ 深すぎるぞ・・・。 これから自身の身に起こりうることを 知り尽くす。 分かりつくす。 その上での決断。 まさしく人間としての一大決心。

当時の仏教界からしたら まじで大聖人の言ってること 「何言ってんねんこいつ」 っていう感じやったやろうしな〜。

大流行中の念仏を 謗法!と言いきった。

大聖人の師匠も 立宗宣言の時 「日蓮やらかしおった・・・。」 と思ったらしいしな。

さてさて開目抄に戻るぞい。

更に思索を深める大聖人。 そこで 法華経に書いてある六難九易とはこの事だと気付く。 自分はめっちゃくちゃ難しいことをしようとしてるんやと。 法華経を持つ事は 自分で山を投げるより難しいことなんやと。 そんだけむずいんやと。

よし、これや。 このとんでもなく難しい事やったろうと。 法華経に書かれとる通りに。 自分も皆も幸せにするための人生に。 そのための人生にしようと。 絶対に退転しない、と再び誓う。

くー、かっこ良すぎる。 わが身をも省みない。

まー言うたら 人って絶対に死ぬからな。

人生において 間違いのないたった一つのことって 「死ぬこと」やからな。

それだけは確かやからな。

だったらどうやって死ぬか その限られた時間を何に使うか。 これで人生の価値は決まるんや。

何に使う。 法華経 南無妙法蓮華経を持って 末法の一切衆生を救うのだ!!! そのための人生にするのだ!!! この誓願が大聖人を末法の御本仏たらしめている。

そして実際20年がたった。 まじあん時思っとったみたいに 難が起きまくってると。 予測したとおりやと。 法華経を身で読んどる証拠やと!!!

述懐している。

強烈過ぎる・・・。

その大聖人に連なってまいりたい。 そのおこころと同じ心で生きてまいりたい。