創価なう

仏教オタクが仏教を語ります

いじめはいじめてる側が100%悪いです。なぜか?

いじめっていじめられた方にも原因がある んでしょうか?

そんなことないんです。

いじめっていうのは いじめている方が100%悪い。 んです。

この本を読んで その事に改めて気付かされました。

なぜなら 人には楽しく生きていく権利がある。 からです。

それをないがしろにしても良い人などいない。 それをないがしろにする行為がいじめなんです。

いじめている人というのは 相手の何かが気に喰わないのです。 認められないのです。

例えば、あいつは生意気だ。 だからそれが気に食わない。 よし、仲間はずれにしてやる。 っていう感じ。

差別なんです。 要は。 いじめっていうのは。

認められないんです。 その子の何かが。

差別してしまっているんです。 畜生の心なんです。

いじめてしまう子というのは 可哀想なんです。

人の何かを認められないんです。 許容の範囲が狭いのです。

人の何かを認められない人は 自分を窮屈にしてしまいます。

いじめている相手と同じような 自分になることを認めることが出来ないからです。

だからいじめというのは 人を傷つけているようで 実は自分を傷つけているんです。

もしかしたら相手を傷つけたかも っていう出来事って 何か心に残ってるんですよね〜。 後々振り返ると。

相手を大切に出来る人は自分も大切に出来る。 自分に優しい人は人にも優しく出来る。

依正不二ですね。

自分を大切に。 同じように相手も大切に。 そういう心が広がれば広がるほど平和な世の中になっていくと思うのです。

いじめはいじめている方が100%悪い。 人をいじめても良い理由などないからです。 すべての人には楽しく生きていく権利があるからです。